誰のため?何のため?障害者等用駐車場の在り方を問う。

車いすマークが記されたちょっと広めの「障害者等用駐車場」(以下:障害者駐車場)って知っていますか?いったい、何のためにあると思いますか?誰のためにあるのでしょうか?
 

一般の駐車場と障害者等の駐車場の違い
 

車いすで生活をする私の移動手段として、自動車は大きな割合を占めています。通勤でもプライベートでも大活躍です。
 

しかし、障害者駐車場が満車で思うように停められず、困ることがあります。そこで停まっている自動車から降りてくるのは、多くの場合、何不自由なく歩いている人々。もしかしたら、外見からは分かりにくい障害があるのかもしれませんが、そう自分に言い聞かせると同時に、障害者駐車場の在り方を考えることがあります。
 

普通の駐車場と障害者駐車場の違いは2つあります。1つは、横幅が広いこと。国土交通省が提供しているガイドラインは、普通乗用車の幅員2.0メートルに対して一般枠に2.5メートル、障害者枠に3.5メートルという目安を示しています。もう1つは、設置場所。建物と駐車場の導線に配慮し、建物の入口付近に設置されていることがほとんどです。
 

障害者駐車場の横幅を1メートル広く設定しているのは、車いす使用者や介助を要するなど、乗降時に「幅」が必要な人の利用を想定しています。国土交通省の言葉を借りると、障害者駐車場の利用対象者は次のように表現されています。「車いす使用者だけでなく、身体の機能上の制限を受ける高齢者・障害者等であれば利用することは可能」。要するに、障害者、高齢者、傷病者、妊産婦が対象と理解することができます。
 

しかし、ここまで対象を広げる必要はあるのでしょうか?私は疑問に思います。
 

障害者駐車場が必要と思われる人の立場と状況を、私なりに整理してみると、駐車場は「乗り降りをする場」と「自動車を駐車させておく場」という2つの要素が含まれていると思います。
 

まず、乗り降りの場として必要としているのは、どんな人でしょうか。障害者駐車場の特徴は、なんと言っても横幅が広いことです。その幅がなければ乗り降りができない人というと、なんらかの理由で車いすに乗っている人に限られてくるでしょう。車いすを自動車へ横付けしなければならず、物理的に幅が必要です。言うなれば、それ以外の人に広い横幅は必要ありません。
 

そこに、“障害者駐車場にしか駐車できない人”というフィルターを重ねてみたいと思います。ここで着目するのは、だれが運転をしているかという点です。車いすに乗っている人がいたとしても、ほかの人が運転をしている場合も多くあります。その場合、そこに停めておかなくても良いはずです。なぜなら、入口付近で車いすの人を降ろして普通の駐車場へ停め直すなど、別の手段をとることが十分に可能だからです。しかし、車いすの人が自ら運転をしている場合、そうはいきません。幅の広い駐車場でしか乗り降りができないことから、そこに駐車せざるを得ない状況にあります。
 

上記を踏まえると、障害者駐車場に停めるべき対象となるのは、車いす使用者が乗っている自動車、かつ、その人が運転している場合に限る、という結論に至りました。突き詰めて考えれば、グッと対象が狭まることにご理解いただけるのではないでしょうか。
 

誰が使えるの?
 

けれども、先述のとおり国交省の定義は、「身体の機能上の制限を受ける高齢者・障害者等」と広く対象を設けています。このような矛盾が生じる原因は、広い横幅が必要な人と入口付近という立地を必要としている人という、異なるニーズをもつ人たちを対象として混在させた点にあるように思います。受け皿をひとつの場に求めれば、仲違いが起きるのも仕方のないことです。
 

それならば、それぞれのニーズに応じた場所を設けて、スッキリさせればよいのではないでしょうか。
 

・広い横幅が必要な車いす使用者かつドライバーには、既存の障害者用駐車場
・広くなくてもいいから近くを望む高齢者・傷病者・妊産婦には、建物付近を優先的に
 

しかし、住み分けだけでは不十分のように思います。とくに好立地の場所は、数の不足が叫ばれることでしょう。そこで、乗り降り専用のスペースを足せば、身障者等を降ろしてから空いているところに停め直すといった対応ができるので、問題も解決するように思います。
 

障害者等用写真
 

今、障害者駐車場の不正利用が問題となっています。
 

その対策として、障害者駐車場の真ん中へ、パイロンを設置しているところを見かけるようになりました。車を停めるためにはコーンを退かさなくてはならない、このひと手間を抑止力とする発想ですが、それと同時に、同じひと手間を本来そこに停めてしかるべき人にも求めることになります。いったん降りて再び乗るという何でもない行程かもしれませんが、車いす使用者かつドライバーには車いすの積み降ろしという動作が加わり、大変な労力を必要とします。その間も駐車場内の車の流れを止めることから、後続車からクラクションを鳴らされること必至という心労も想定されます。一見、不正利用防止のやさしい配慮にも見える対策が、そこを使うべき人を拒む結果となっているのです。悲しいかな、これでは本末転倒です。
 

ひと昔前は、障害者駐車場の有無が問題となっていたにも関わらず、時の流れとともに社会問題も移り変わっていきました。何をもって不正利用と言うのか。それは、一見して障害があるとは思えない人の利用を指しています。現状では、内部障害などの外見には表れない障害をもつ人も利用対象に含まれていることから、容易に不正利用と判断してはならない側面もあります。しかし、使うべき人が使える環境であることが、本来あるべき姿。この記事で整理した「障害者駐車場しか使えない人=車いす使用者のドライバー」という視点に立ち返ると、私たちにできること、しなければならないことが見えてくるのではないでしょうか。
 

まず、障害者駐車場に停めようと思ったら、ふと立ち止まって、その必要性を考えてみてください。
 

・乗り降りの際、広い横幅は必要ですか?
・そこに駐車する必要はありますか?同乗者を降ろした後、停め直すことは可能でしょうか?
 

こう考えた末に障害者駐車場を選んだ方は、きっとそこを必要としているのだと思います。
 

では、障害者駐車場しか使えない人、すなわち、車いす使用者のドライバーは、それを明確に示しましょう。クローバーマーク、車いすマーク、駐車禁止等除外標章、パーキング・パーミットの札などを提示し、「ここが必要なんだ、停めさせてね」という意思を伝えるべきです。これが徹底されれば、もし満車で諦めなくてはならない人がいたときも、妙な詮索をしてギスギスすることを避けることができます。
 

本当にそこへ停めるべきか?——この再考の結果、障害者駐車場の空いている時間が増えるかもしれません。それによって、「な〜んだ、使う人いないじゃん。すこしだから停めちゃおう」と思ってしまう人がいたのなら、それは悲しいことのように思います。自分とは違う価値観や背景をもった多くの人々で構成されているのが社会です。目の前にいる人の置かれている状況や心情を慮るように、障害者駐車場を必要としているであろう誰かへ想像を膨らませることができたら、きっと今よりも温もりに溢れた社会が広がっているのではないでしょうか。あなたの想像力と思いやりは、社会を変える一歩になるはずです。
 

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この記事を書いた人

樋口 彩夏