当事者意識ってどうすれば持てるの?「分かる」と「知る」の大きな差【イベントレポート】

社会的に弱者とカテゴライズされる方への支援やサポートを考える際に、当事者意識という言葉が使われることがあります。社会問題を考える上で当事者というのは、社会問題を抱える本人を指し示すことがほとんどです。障害者の社会進出の問題であれば、当事者は障害者であり、児童養護施設の進路格差の問題であれば、当事者は児童養護施設在所者や出身者ということになります。
 

先日、Plus-handicapで主催したイベント、「当事者意識ってどうすれば持てるの?〜誰かの困りごとを仕事にするという生き方〜」では、当事者意識について、4名のパネラーだけでなく、来場して頂いた30名近くの皆さまを巻き込んでディスカッションしました。今回はディスカッションの場で出てきた当事者意識に関する言葉を拾ってみたいと思います。
 

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「当事者について考えることは辞めました。1人ひとり環境が違うんだから、一個一個考えていけるほど時間がない。大切なのはニーズ。何に困っているかという点に焦点を当てて解決策を考えればそれでいいんだと思う。問題を明確化することのほうが優先。」

 

パネラーとして登壇頂いたGrowAsPeopleの代表である角間さんは、当事者が困っていることに着眼するアプローチです。
 

「自分の周りにHIVに感染した当事者がいないから、当事者団体に加わってみた。こんな人がいて、こんなことに困っているんだと学びにいったようなもの。知ることができてよかった。」

 

来場して頂いたHIV感染者の方から頂いた言葉は、当事者というカテゴリに自分から加わることで、当事者にとって必要な情報を手に入れることができるという目的意識が背景にあります。
 

「女子高生の相談に乗っていますけど、僕は男ですし、30歳ですし、いまどきの女子高生のことは分かりません。でも、自分にも同じように10代の頃はあったし、見えてるカタチが違うだけで問題の根っこは似ていたりもするんですよね。」

 

女子高生の相談支援をしている根本さんは、自分自身の過去の体験と目の前に相談に来ている女子高生の問題を比較検討することで、当事者の状況を知ろうというスタンスです。
 

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今回のイベントを実施しようと思った背景には、問題を抱えている・困っている当事者と、問題を解決しよう・手を差し伸べようという当事者はまったくの別物であるという状況を、社会がいかに認識しているのだろうかという問題意識があります。例えば、両足が不自由な私に対して、健常者が「大変ね〜」と言ったところで、私自身の大変さを理解することはできません。相手が同じ障害をもっているわけではないのですから。
 

上記の言葉をピックアップした意図にもつながりますが、現在活躍されている方々の多くが「当事者を理解しよう」というアプローチをとっていません。現場で使う言葉に置き換えれば「あなたのことがわかる」「あなたの苦しみやしんどさを理解してあげたい」というような言葉を使うことがありません。「分かる」のではなく、「知る」。理解しようというアプローチではなく、知ろうというアプローチ。当事者意識とは、自分が問題の関係者であることを自覚することと辞書的な意味では定義されているようですが、「当事者のことを意識し、主体的に自分が何か行動を起こせないか考えること」なのかもしれません。特に社会問題上では。
 

問題を抱えている側の状況、背景は千差万別ですし、そもそも人間は相手のことを100%すべて理解することはできません。主催者側の大きな気づきとしては、当事者を不快にさせない、人間関係を築いていくための言葉選びが、当事者を意識して考えるというエチケットなのだろうなということです。「分かる」という言葉を安易に使ってはならないという教訓が得られた時間でした。
 

※今後もイベントは定期的に企画して実施したいと考えております。皆さまにお会いできることを楽しみにしております。

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。