半年間の愛のないセックス。

今回はセックスについて。
 

「君みたいに可愛くておっぱい大きくてエロい女の子どこにもいないよ~…」と突然きたメール。あ、元メス豚ゴリラも可愛いと言われたりするんですよ。このメールは以前関係を持った男性から来たもの。私とその男性の間には愛なんて一切ないセックスだけの関係です。
 

私が愛のないセックスを求めたのは失恋してすぐのことでした。わたしの世界は恋愛中心で回っているので恋愛が終わると世界が止まります。世界を動かすためには新たに燃料を投下しなければなりません。そこで思いついた燃料がセックス。恋愛が中心なのにセックス?と思うかも知れませんが、恋愛をするまでかなり時間がかかるし偽りの恋愛は楽しくない。世界の回転を遅く、つまらなくするだけなので偽りの恋愛という選択肢はありませんでした。
 

一刻も早く誰かに必要とされたかった、存在を認めて欲しかったという気持ちが強かったです。ここ、若干ダメ女の香りがしますね。勉強も運動もイマイチで趣味も特になく、褒められることもあまりなかったわたしだから余計に。
 

男性が射精したときに「あ、今私がいなかったらこの人は射精できなかったんだろうな。私、必要とされているんだな。」という思い込みでなんとか世界を回していました。
 

愛のないセックスを求めた期間は約半年ぐらい。愛のないセックスでは身体を売ったわけではなく、セックスフレンド(以下セフレ)を探しセックスしました。当時は3人のセフレをとっかえひっかえ。
 

セフレとは、春を売るわけではなく、ただセックスをするだけの関係。セックスしたいときに会い、セックスをして解散。メールや電話の内容も大体エロい内容。当時、その関係は楽しかったです。当時は。でも楽しいのはセックスの最中、もしくはセフレと一緒にいる時だけ。求められていると実感できるときだけ。
 

セックスした後はむなしさや寂しさ、孤独感がめちゃくちゃ強くて、セフレと別れたあとは必ず駅のベンチでうなだれ、泣くこともありました。大好きな人に対する未練、なんでこんなことしちゃうんだろうという気持ちがすごく苦しかったのを覚えています。じゃあ、セフレとセックスするなという感じですが、そんな苦しみよりもセックスで求められることのほうが大きく、果てしない喜び(悦び?) を覚えてしまっていたのです。
 

セフレとは基本ホテル。
セフレとは基本ホテルで。

 

セフレとはキスをしない手は繋がないという自分ルールがあったのを思い出しました。セックスから発展した恋はロクなものにはならないだろうという考えから、恋人を連想させるような行為は拒否。全面拒否。セックスは良くてキスはダメって、なんか色々矛盾していますね。なんとなく純潔ぶっているあたりが気に食わない(笑)。好きでもない男に身体を提供している時点でもう純潔じゃないでしょと当時の私に言ってあげたいです。
 

3人のセフレと会わなくなったのはそれから半年後。狭い世界から広い世界へ出て行き、沢山の人に私の存在を知ってもらって、そこで出逢った素敵な人たちとおしゃべりしたり遊んだりしたときの幸福感は、セフレとのセックスの何倍も幸せでした。セフレとのセックスでは味わえない気持ちを知ってから、愛のないセックスへの興味は薄れました。
 

セックスをしているときは今が楽しければいいの!と思っていましたが、駅のベンチで泣いてしまうくらい苦しい思い、むなしい思いをしてまですることなのか。今でも当時の感情に苦しめられることがあります。結果として愛のないセックスは私の世界をうまくは回してくれず、急発進・急停止を繰り返していただけのようでした。
 

刺激というのはいつしか慣れて、麻痺してしまうものです。そして、新たな強い刺激を求め、どんどんドツボにハマっていきます。ハマりかけているかも?と思った方は一度離れてみて、自分を見直してみる。自然に触れたり、少女のようなことをしてみたりすると、結構いいリフレッシュになったりするものです。また、いろんな人と触れ合うことでセックスでは埋められない気持ちがあることに気付くかもしれません(私の場合はセックスだったので)。
 

おしまい

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この記事を書いた人

細井愛香

平成生まれゆとり育ち。
幼い頃からシングル家庭で育ち、高校の時まで周りに心配かけない様に自分に嘘をつき続け、「生きづらい」と感じていた。丁度その時、好きなことを仕事にしている大人達に囲まれ、自分も彼らのように生きたい!と憧れてしまい、その結果、大学進学をやめ親元を離れ、団体を立ち上げ、不思議で魅力的な大人達に囲まれながら自分に正直に生きようとしている。
自分の思春期に終わりが見えないことが悩み。